安宅の関
義経、弁慶、富樫の像
住所 | 石川県小松市安宅町タ140-4 |
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電話 | 0761-21-6734 |
URL | https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/kankoubunka/kankou_shoku/5/2482.html |
白砂青松の中に「智仁勇」の像が立つ、
歌舞伎十八番・勧進帳の舞台。
安宅住吉神社の海側に広がる静かな松林の中に、勧進帳の舞台、安宅の関跡の碑がある。
兄、頼朝に追われた義経が安宅の関を通る際、関守・富樫の厳しい尋問にあい、その危機を乗り切るため弁慶は、偽の巻物を広げて即興で「勧進帳」を読み上げ、さらに嫌疑がかけられると、主君である義経を打ち据える。その姿に感動した富樫が通行を許可した。
これが誰もが知る勧進帳の有名なシーンだ。
悲運の英雄、源義経が歴史の表舞台に現れるのは、22歳で兄・頼朝と対面してから31歳で奥州平泉で自害するまでのわずか9年間。最後の2年間を過ごした平泉に至るまでの空白の2年間が、日本全国に残る数多くの義経伝説を生み出した。石川県内にも加賀から能登まで、90を越える義経主従の伝説が残されている。その中でも一番有名なのが、ここ安宅の関の物語だ。
義経が平泉で自害してから200年以上のち、15世紀初期に書かれた『義経(ぎけい)記』の中の各地での出来事を一つにまとめて、15世紀後半に能「安宅」が作られた。そして江戸時代の天宝11年(1840)に、七世市川團十郎によって歌舞伎「勧進帳」が初演されて人気を博し、以来、歌舞伎十八番の一つとして今も受け継がれ、安宅の関の名を全国に広めることになった。
弁慶の智略と勇気、富樫の仁義をたたえ、昭和15年に二人の銅像が建てられた。その後、平成7年に義経像が加わり、今は三人で「智仁勇」を表す形になっている。
料金
見学自由
松林の中に立つ碑
アクセスマップ
- アクセス
- ・JR小松駅から小松バス安宅線で約15分 「安宅の関前」下車徒歩で3分
・JR小松駅から小松バス空港線のEVバスで約20分 「安宅住吉神社」下車徒歩すぐ
・北陸自動車道小松I.C.から車で約3分 - 駐車場
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50台
・大型バス(6台)駐車可
- 備考
- 【問い合わせ先】「安宅の関」勧進帳の里 うみのえき安宅 TEL:0761-21-6734(水曜定休日)