
加賀藩お墨付きの名物。芭蕉も称賛。
「はっ、小松のうどんでございます」
と、そんな会話が実際にあったかどうか知らないが、幕府の巡見使に名物を聞かれたら、金沢の象眼鐙(ぞうがんあぶみ)と染手綱(そめたづな)、小松の長機二重堅絹(ふたえかたぎぬ)と干饂飩(かんうどん)などを答えることになっていたらしい。江戸時代宝暦5年(1755)の『御国御目付衆江御答帳(おんくにおんめつけしゅうへおんこたえちょう)』という書物にそう書かれている。
それより前、小松のうどんは、あの松尾芭蕉にも贈られていた。元禄2年(1689)、奥の細道の旅の途中、小松の俳人・塵生(じんせい)が乾うどん二箱を届けたのに対し、芭蕉が「殊に珍敷(めずらしき)乾うどん」をありがとうと書いた返書が残されている。
さらに元禄7年(1694)の『小松旧記』でも、小松町奉行から加賀藩の台所奉行にあてた返書『干饂飩のこと』の中に、細かい注文と、製造者として八日市町の亀屋徳右衛門の名が記されている。
徳右衛門は、注文どおり小麦の二番粉を使い、普通は足で踏んで練るところを特別に手で練り、炭火で乾燥して仕上げたという。でき上がったうどんは、藍で「亀」と印を押し、墨で「干うどん」と書いた紙に包んで贈られたらしい。
小松が発祥、うどんの名店。
明治末小松駅前風景(小松市立博物館提供)
現在金沢市でよく見かける「加登長」が、実は小松で誕生した大衆的な「小松うどん」のルーツであることは、ほとんど知られていない。現在小松市内に店舗がなくなってしまったことが惜しまれる。
明治38年(1905年)には、現在の西町で三津野菊松氏が『中佐』を開いた。菊松さんには兄弟が多く、それぞれが『中佐本店』『中佐西店』『中佐北店』などを開業。その後、それらの店で修行を積んだ人たちが、中佐の味にあやかって『中石』『中音』『中定』『中芳』などの屋号で独立し、小松は知る人ぞ知るうどん所となった。
のぼりが目じるし、七十数店舗!
現在、えんじ色のノボリはためく加盟店は70数店舗。小松うどんの“定義” に従いながら、各店舗で工夫を凝らした味を提供している。
そもそも小松うどんの特徴は、細くて軟らかくて白い、たおやかな麺。そして白山伏流水を用い、魚の節を使ったあっさり味のダシ。そのあたりの基本路線は守りながらも、本当にユニークなレシピを開発している店もあるので、ぜひあちこちで味わってみてほしい。
小松うどんつるつる創研
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